先日、
息子の看病がてら、
ひとりで節分の残り福をボリボリ。。。
何気なく使ったこの朱塗りの器。
これは
在りし日に
お茶の先生から頂いたもの。
実は
先生からの
最期の御年賀となった。
出産前は、
ことの他、生死に過敏になるんやろな 。
走馬燈のように
色々想い出した。
私は
とても出会いに恵まれている
その反面、
「師」 と呼べる人との別れを
多く経験した。
私の名付け親は神職やったので
着物姿で
いつも火鉢の横でお話しをしてくれはった。
想い出の中のその方は
少し、
先代の円楽師匠に似ている。
私の落語好きはそこからかも。
小学生の時の塾の先生は
ある日突然
何も言わずに逝ってしまわれた。
中学生の時、
塾の人間関係に悩んで、塾長の奥様に相談していた。
その奥様は突然の事故で。
家族そろってお世話になっていた内科医院。
高校の時の、
私の初めてのアルバイト先でもある。
そこの頑固で寡黙な先生。
過去の偉人の言葉を
事細かにノートにまとめておられた。
無口でも、思いやりある先生やった。
私の中で最も大きい別れは
大学時代の能楽部の顧問。
観世榮夫 師と
河村信重 師。
信重先生の
最期のおシテ姿の気迫は、今でも胸に焼き付いている。
榮夫先生からの、
とある言葉のおかげで、私は出産さえも、楽しいお稽古に思える。
他にも
妹と弟がお世話になった
合唱団の先生。
私は直接お世話になったわけではないが
大袈裟ではなく
その先生のおかげで、
今、妹が生きている。
唯一、人伝に聞いたのは
大学を中退して、通っていたパソコンスクールの先生。
そして
冒頭に戻って
料亭で働いていた時の
お茶の田中先生。
厳しくもユーモアのある方やった。
テンガロンハットでお稽古にいらしたり。
奥様がまた素敵な方で
今でもお手紙のやりとりをする。
この、
雲に如意棒の文様を見て想う。
あぁ、あれから干支が1回りしたんやな ・・・
私は亡き師たちから、
たくさんの愛情を頂いたから
他人の子も
心の底から可愛いと思ってしまうんやと思う。
そして
志半ばで
天へ昇られたの方の
想いを継いでいかないと、
て気持ちが大きいんやと思う。
すべてのことが
今の福地空果梨堂の活動に
繋がってる。
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